元気夢工房

写真を中心に風景・花・ポエムを綴っています

看取りケア

みなさま、こんばんわ。
今日もご苦労様でした!
そろそろエンジンがかかってきましたか!?
あまり急がず自分のペースで事を運びましょうね。
さて昨日の続きですが、(長文です、飛ばし読みしてください)
お話を継続する前にまず私がどうのような施設で働いていたかと言えば「老人保健施設」
略して「老健」です。
それを踏まえたうえでお話を続行させていただきます。
私がディサービスから通常勤務に変更になり本格的に施設内の棟で働くようになったさい
職員の一部は利用者さんにあだ名をつけバカにしたり呼び捨てで利用者さんを扱っていました。その光景をみたとき私は愕然としました。
何事も他人任せの職員
さらに遅刻したにもかかわらず平然とした態度で勤務に就く職員
何もかもが私にとって信じられない光景で「この状況を絶対変えてやる!」という強い
信念を抱くようになりました。
ただ残念なことに私はまだ新人
余計な口出しをすると職員を敵にまわすことになります。
改革実行の前にまず仕事ができないことには話になりません。
なんとか一人前に仕事を覚えたころ改革の実行です。
まずは私の意見を共有してもらえる職員をピックアップ
その方から親睦会の声がかかるのをじっと待ちました。
やっと声がかかり施設の主たる職員が集まる親睦会が始まり私はピエロとなってウケ狙い
私の存在をアピールすることに成功!
シメシメ
そして徐々に改革の必要性をアピール
『職員の給料はどこからでるのか』
『他の施設に介護力において負けてもいいのか』
『このままで本当にいいのか』
機会があるたびに問い続けました。
『みんな本気になってほしい』
『自分が変わらなければ施設は変わらない』
朝の申し送りがあるたびに訴え続け職員の意識が徐々に変わってきたのを見てまずは
第一段階は終了です。
老人施設では本当にたくさんの業務をこなさなければなりません。
朝食への誘導、配膳、食事介助、おむつ交換、シーツ交換、エプロンの洗濯、医師の診察、レクレーションの準備、など多岐にわたり特に真夏の入浴介助は脱水症状がおきそうになるくらいハードでした。今から思えばよく務まったものだと思います。
そして第2段階として職員に楽しみを作りました。
花見、ボーリング大会、花火、忘年会、カラオケ大会、親睦会に加え好評だったのは宝くじのまとめ買い(笑)👈最高5万円が当たったことがあります(〃艸〃)ムフッ
そこには職員の笑顔があり涙がありバラバラだった職員の気持ちがだんだんひとつに
なってきました。
シメシメ
『どこにも負けない介護力』が私の最大のテーマでしたので意識改革は成功しました!
そんな私の態度を見た理事長は私を介護主任に抜擢していただきました。
いい仕事をしようと思えばいい仲間に恵まれなければなりません。
仲間は大切な宝です
その点においては今でも感謝しています。
余談ですが介護職に就くにあたり介護福祉士などの資格などどうでもいいのです。
使えない者は使えないのです。
介護職は離職率の高い職業ですが頑張れば楽しくなってくるのです。
みなさまもご承知のことと思いますが、介護職の給料は安いですがやりがいがあります
自画自賛するつもりはありませんが、介護主任に抜擢されてから給料は30万円も支給
していただき益々仕事に励むようになり、他の職員の給料も見直しをしていただけるよう
直談判したこともあります。
利用者さんあっての仲間
仲間あっての私
そしてそしてついにボーナス50万円まで出していただきました!
ただ二つほど私の力ではそうしようもないことがありました。
そのひとつが理事長のワンマン経営
自分が気に入らない職員は容赦なく解雇され私の力不足を痛感しました。
そして一番ひどかったのが看取りケアになっていたことです。
本来ならば利用者さんの体調急変に対しては救急車で大きな病院で診てもらうのが決まりなのにひどい扱いで介護職員に筋肉注射をさせるような理事長で何度も意見をぶつけたこともしばしばあり、理事長としての資格など全くありませんでした。話はそれましたが
看取りケアとは利用者さんの最後を見送ることです。
施設内に109号室という部屋がありその部屋はほほ終末を向かえる方の最後の部屋でした。亡くなる方の多くは夜勤中に集中していました。
何十人看取ったことか。
昨日まで元気だったのに
そう何度思ったことか
お力になれなかったことを今でも悔やんでいます。
主任に抜擢され仕事の量は倍増
理事長と仲間との意見の違いをなだめすかす事が大変な作業になり理事長と仲間との
板挟み。もはや私の体も精神も疲れ果て元嫁を構うことができなくなり家内は出会い系
サイトで知り合った男と不倫。
そして離婚
もはや体も精神もボロボロに
その態度をみた理事長から解雇を告げられました。
それを機に私の人生の歯車が狂い始め交通事故による心肺停止
運びこまれた病院で意識が回復し以後交通事故による後遺症としててんかんを発病
てんかんで病院に運ばれること6回
そしてうつ病にもなり働けない体となりました。
そこから始まった精神薬の過剰投与
薬漬けの日々
そして今の私は実家に戻り長期療養中
いまだてんかんとうつ病と重度不安症と闘っています。
以上私の回顧録でした

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