元気夢工房

写真を中心に風景・花・ポエムを綴っています

眠れぬ日々

みなさま、こんばんは。
おやすみのところ失礼いたします。
昨夜母から聞いた「私大病なの?助かるの?何の病気?信じていいの?」という質問が忘れられず母の向き合う姿を感じるようになりました。
昨夜はその話を直接聞いた父は一睡もできていないようです。
読者の方から夫婦の絆と子供の絆は夫婦でしか分からない絆があるそうで誰も立ち寄ることができないと書いてありました。救急車で搬送される際母は「父ちゃんおるん?手を繋いで」と言いました。そして私には「私のために迷惑をかけてごめんね。父ちゃんと喧嘩しないよう仲良くしてね」と言いました。「父ちゃん手を繋いで」といわれ父ちゃんはしっかり母の手を繋ぎ大丈夫、大丈夫と励ましていましたが母ちゃんは意識もうろうとしており、死と向き合いう中で唯一父ちゃんの手が安心だったようです。私は弱い人間ですからなんとか眠ろうと酒を飲んだり睡眠薬を増量したり明日の忙しさに耐えることができるよう努めていますが、母の言葉が耳から離れず眠れなくなりました。医師から最終判断をせまれたとき、今度こそ母を帰宅させようと思います。父にも私にも耐えがたい悲しみと苦しみが待ち構えているでしょうがこんどこそ苦しい思いをさせず自宅にて最期を迎えさせてあげたいと思います。訪問看護、ホームヘルパーさんにそれだけお世話になることになるかわかりませんがヘルパーさんには常に母の体をきれいに清拭して欲しいと思っています。
姉にはまだ結果がはっきりしないうちから先の事を考えるのはまだ早いと言われました。
しかし母が退院できたとしても私は母の命を尊重したいと思います。事実母が急変した時は最期かもしれないと思いました。あの時楽にさせてあげればよかったと今更後悔しています。
私を含め生ある命はいずれ消えていくものだと分かっていますが、母の気持ちを思えばやはりこれでよかったのかと考えるようになりました。面会するたび元気を装う母の姿は痛々しいです。退院してわずか三日で再入院とは誰しも思っていませんでした。今日は疲れたから休ませてというのできっと入院疲れと思っていましたが、やはり逃れられない命と知りました。92歳にして点滴を受け退院出来たら家事をしたいと言っていましたがそこまでできないという事はすでにわかっています。毎朝母から父に電話があるのですが日々変わる母の言葉に父は動揺しているのがハッキリとわかります。すぐに私と電話を替わるのですが父ちゃんと話がしたいというのです。退院後の施設利用も考えましたが、ただ延命するだけで母の癌が消えるわけではありません。何度もいいますが子供として母の命を考えるのは当然だと思いましたが、もうがんばらないでいいよと告げたいと思います。早く布団で寝かせて、婆ちゃんの所へ行きたいという願いを叶えるべきではなかったのかと考えるようになりました。日々変わる母の体調ですがもういいと思う事も何度もありました。92歳までよく尽くしてくれたと思います。私が諦めればすべてが終わると思いましたがそれが母に対する一番の親孝行ではないかと思い始めました。父の想いを考えればとても悲しいことではあるでしょうが死と向き合う事から逃れることはできません。一縷の望みは忘れていませんが、母がもういいと言えば自宅に連れ帰すつもりです。母への想いは消え去ることができませんが、母の体力を考えればもう限界かもしれません。毎日の検査でどれだけ辛い思いをしているのかを考えると母の望みを叶えたいと思います。母はまだ小豆島に行ったことがなく元気になれば必ず行こう誓いましたが、叶えることは事はできそうにありません。父には父のことを、母には母のことを精一杯考えていこうと決めました。それが私にとって最期の孝行となると考えています。母は面会の度に自宅に帰りたいと言います。今回で最後の治療となるのは目に見えています。残りの人生は自宅でと思っています。もういいよ。ばあちゃんの所へ行こう。それが私にとって唯一できることと考えています。
眠れない夜が続きますが、母も同じです。さよなら、ご苦労様でしたと言いたいと思います。そして最後を向かえた後には思いっきり泣きたと思います。
最後までお読みくださった方々にお礼を申し上げます。
私のブログが途切れた時心中お察しくだい

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