元気夢工房

写真を中心に風景・花・ポエムを綴っています

回顧録

連投です
母が末期癌で余命2週間と宣告を受けた日。
医師から「もうホルモン注射の効果は見込めない」と言われた。
私「そんなに悪いのですが?」
医師「血液検査の結果や体調の変化をみてもかなり悪くなっています」
医師「早くて2週間、長くて年内いっぱいでしょう」
医師「入院しますか?」
私「入院すれば長生きできますか?」
医師「延命治療になります」
私「自宅で看取ります、これまでありがとうございました」
医師「力になれず申し訳ありません」
という会話ののち自宅での看取りが始まり訪問看護師や医師などがきてくださるようになった。
母は看護師さんが来るたび化粧をして女らしく紅を引き元気に振る舞った。
医師が訪問しても「私は元気いっぱい」と痩せ細った腕をみせて力こぶ
医師から「今日もお母さん元気ですね」と言われて「ええ、私は200歳まで生きますよ」
とから自慢。
それから数週間
徐々に足が立たなくなる
「〇〇、私歩けなくなったけどどうしたの?」と訴え始めた
ついにきたかと闘いが始まる
伝い歩きでトイレまで行けたものができなくなりパンツもおむつになった。
いままでできたことができなくなった不安と恐怖
母の癌との闘いは始まった
頻尿で深夜に起きることが多く都度ポータブルトイレを使いようを足す
それから数日後ポータブルトイレさえ立てなくなってしまった。
ベットの上でおむつ交換
「〇〇にこんなことまでさせて・・・・」と直謝り。
つまみ食いが得意だった母が食事を食べなくなり体重は40kgを切った
「母ちゃん、食べないと力がつかないよ」と言うと「私はもういいの」と。
そして母は私の顔を見て「私の死亡保険や保険証など死んだときに必要な書類は準備できた?」と聞いた。私は「そんな不吉なことを言うな」と言いながらうずくまってしまった。
それから一気に母の容態は急変し「私はあんたのことが心配」という言葉を残しこの世を去った。私が介護職時代に習った技術をすべて出しつくしベストを尽くした。毎日が究極の選択。天に召された母ちゃんよ、恨んでくれるなこの俺を。

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