元気夢工房

写真を中心に風景・花・ポエムを綴っています

私の備忘録 パート7

みなさま、こんばんは。
今日もご苦労様でした!!
今日もみなさまのブログを拝見させていただいておりますとお一人のブロ友様が精神科緊急入院措置体験談についてふれられておられたので私もいい機会だとおもい私の体験談をお話してみたいと思います。事の始まりは母が病院から退院しようやく落ち着き始めた頃、一度目のコロナワクチン接種の機会がありました。接種前にてんかんの持病がある者は注意を喚起されていましたが、私がコロナで倒れては母の看病ができないと勝手に想像しワクチンを接種してしまいました。ワクチン接種後からだのだるさが続いていましたが、接種後一週間ほどで倦怠感も消え部屋中を動き回っていましたが、奇行にでました。ワクチン接種後間が空いていないのに夜中に家を飛び出し病院に向ったそうです。病院で一夜を過しそこから記憶がありません。気が付いたときは歯医者の駐車場にいました。そこでなにやらしでかしたらしく両親が迎えに来て私はそのまま車に乗せられどこへやら運ばれました。車内で母に「私が誰だかわかる?」「助手席にいるのは誰だかわかる?」と聞かれそれほどまでに心身共々衰弱していたのであろうと思います。車内で運転されている方にどこに向かっているのかと尋ねるとそこは私が常に通院している精神科でした。意識が混濁している中半強制的に入院手続きは進み看護師と病棟へ向かいました。気がつけば私は保護室にて四肢を縛られ点滴を受けていました。私はなぜ点滴なのか?まずここはこの部屋は何なのか?全く理解ができず大暴れをしたようです。私はスタッフに「もう大暴れはしないから家族に連絡をさせて欲しい」とお願いすると「〇〇さんのことはご両親にもお姉さんにも連絡をしてあるので心配はいりませんよ」と無情の言葉が返ってきました。私は母に心配を掛けまいとした行動が逆に心配をかけてしまうことになってしまいました。私が入院して数日たったころなぜ入院に至ったのか理解することができ、とても愚かなことをしてしまったと後悔ばかりしていましたが、なにより一日も早く精神科を退院することが私の目標でした。入院患者さんをみればそれは語れないほど病んでいる方ばかりで私も一時ノイローゼになりそうでしたが、支えになったのは母の看病でした。私が元気で退院し母の看病をする!それだけを考えていました。幸い私には介護職に就いていた経験があったので比較的苦ではありませんでしたが病室の汚さには閉口しました。黒カビだらけの壁、蜘蛛の巣だらけの窓、扉のないトイレ、鍵のかからないトイレ、私の枕元にはすぐトイレがあり流れる水洗の音と汚物の音。芋洗いの風呂。まるで家畜のような扱いを受けました。姉が預けてくれた携帯で母の声を聞き、父の声を聞き、一日も早く帰るからと一言告げその携帯も他の利用者が持っていないことを理由に詰め所にて保管という形で取り上げられてしまいました。友達を作れば退院時未練が残ると思い誰ともなれ合うことはありませんでした。病室から見た風景や音、など一生忘れることができません。耐えて耐えてようやく退院し家に戻る事がたわけですが両親には今後発作が起きても絶対に精神科には入院させるなと言っておきました。精神科で送った入院生活で自分の気持ちが少し強くなった気持ちがしますが、もう二度と入院はしたくありません。
母との暮らしをもっと大切に、そして思い出深く、後悔せぬよう家族で支えていこうと思います。母のありがとうが私の宝です。
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今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
明日は日曜日で多くの方がお休みになると思います
楽しいはずの連休ですが生憎の天候で残念ですが心晴々、明日も楽しんでくださいね
みなさまにとってよき連休になりますように!!
ではおさきにおやすみなさいzzzzzz

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