元気夢工房

写真を中心に風景・花・ポエムを綴っています

私の備忘録 パート5

みなさま、こんばんは。
お疲れ様でした。
昨日、今日と涼しい一日になりましたね。
毎日母の事ばかり投稿していますのでたまには私の思いも記して置こうと思います。
母が末期癌とわかったのは6月のこと。
それから一心に母のことのみ考えて耐えてきました。
母の泣き言にも敢えて耳を傾けずただ生きるということだけ考えるということしか伝えませんでした。私も自室に戻った時は不安で一杯で誰に相談してよいか見当がつかず、思い悩んでいました。気晴らしにPCで音楽を聴いても心に伝わらず笑う事すらありませんでした。
夜になれば母の眠る姿をみてようやく私の心は解放されますが何をしても楽しいと思えず心は塞がるばかりで大好きであったカメラさえ手に取る事すらなくなりました。
毎日母の面会に行き、母を励ましだんだんとやつれていく母をみるたび私の心は大きく揺らぎました。母は毎夜私と一緒に車で川に飛び込み自死する夢をみるのだそうです。そのとき私はそれでもいいと思いました。私の地元には知人も友人もいなくて誰にも迷惑をかけることはないだろうとそう思いました。あえて言えば私の友人はスマホとPCでした。母の面会と家の家事をしているうちに母の退院が決まりました。母はとても嬉しそうで私も喜んで家に迎え入れました。私は母さえ退院すれば私の気持ちも落ち着くだろうと高をくくっていましたがそれからが修羅場でした。両親の食事の準備や買い物、掃除、洗濯など休む暇なく動き夕飯を食べ終える頃にはクタクタでした。それから数時間が私の自由時間になりますが、
ただただボーっとするばかりで楽しみさえ見出すことができませんでした。たまに友人から
ラインが入り心配をしてくれるのですが何故私だけがこのような目にあうのだろうと悔やんだこともありました。
友人から「お前に涙は似合わない」
この一言は強烈でした。
オレはそんなに泣き言を言ってたんだ・・・・
でも今は・・・・・
そんな思いがふとよぎりました。
そして8月4日
私はコロナワクチン接種による副反応で重度のてんかん発作を起こし精神科入院となったのです。
入院生活初日、私は意識が混濁し自分がどこにいるのか何をされているのか理解ができず
大暴れをしました。多くの職員に押さえつけられ点滴をされ意味がわかりませんでした。
私を落ち着かせようと多くのスッタフさんが顔をみせてくれましたが、興奮がおさまらずすっかり迷惑をかけてしまいました。物事がようやく理解できた頃、私は大部屋に移り暑い夏を病院で過ごし、高校野球の決勝戦は病室で見ました。周りの患者さんをみるとみんな精神科らしい方ばかりで私も一生病院から出られないのではないのかと焦りがあり私の全ての感情や怒りを捨て、暴言や屈辱に耐えひたすら退院の日を待ちました。母の為に。私の為に。
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懐かしのディスコソング♪

ソウル ドラキュラ  ホット・ブラッド

アラベスク/ハロー・ミスタ・モンキー Hello Mr Monkey




おまけ

(Gershon Kingsley) Popcorn Song 1969


今夜も長文になりましたね
私のことといいつつ母のことになってしまいました。
今では激減したディスコですが溜まったストレスの発散に丁度いいかなと思い一度足を運んでみようと思います(ダンスは全く下手くそですが・・・)。
みなさまも仕事のストレスを溜め込まないようくれぐれもご注意くださいね。
明日もステキな一日になりますように!
ではおさきにおやすみなさいzzzzz

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