元気夢工房

写真を中心に風景・花・ポエムを綴っています

命あっての人生

みなさまこんばんは。
あと一種間で9月が終わりますね。
早いものです
**********************************************************************************************************私が生まれて初めて大きな事故に巻き込まれたのは20歳くらいの時でした。
私の友人が自動車免許をとってすぐカローラレビンを買い友達を乗せ徳島市内に走っていたところ後続の車があおってくるのです。私たちは「うしろの車に負けるな。もっと飛ばせ」と野次っていました。いくら飛ばしても後続の車から離れる事はできずパッシングをされて友人もさらにスピードをあげました。さすがにレビンが本気で走ると後続の車も着いてくることができず友人も飛ばし続けています。
私はだんだん恐怖を覚え友人にスピードを落とすように言いました。友人もうなずきスピードを落とした瞬間タイヤがバーストし、車のコントロールができなくなり、そのまま家の門に突っ込んでしまい私たちは投げ飛ばされ私が路面を激しく転がっているのを覚えています。
買ったばかりのレビンがひっくり返り腹がみえました。エンジンははるか遠くまで飛んでしまい見るに堪えない姿になってしまいました。私と友人は窓からなんとか車外に逃げることが出来ましたが助手席に乗っていた友人の姉の姿が見えません。私も友人も大声で姉の名前をよびましたがみつかりません。後続の車が何台も止まり探してくれました。そして10メートルはあろうかという墓地で発見しました。顔面血だらけでピクリとも動きません。友人と私が声をかけましたが返事が返ってきません。ふと手をみると両手の指の爪がすべて剥がされ出血しており私は心の中で「もう駄目だと思いました」私はその場に立ち尽くし体の全体が震えどうすることもできませんでした。そのうちパトカーと救急車が現場に着き姉もわたしたちも救急救命センターへ送られました。救急車の中でみた姉は顔に大きな切り傷ができ足はあらぬ方向へ向いていて意識もなく友人は泣き叫んでいました。私たちが友人を煽らなければこんな大惨事になっていなかったと思います
救急車の中で懸命に蘇生処置が行われ私たちが見ている目の前で姉の着ていた服はハサミで切り取られ全裸になってしまいました。救急車の中で蘇生術を受けている間に意識を取り戻し痛い、痛いとさけんでいます。そして救急病院に運ばれた姉はまず深く切れた顔の傷を何針も縫い修羅場でした。指の爪はすべて剥がれ言葉がでませんでした。私たちの目の前で緊急処置が施され個室がないというので大部屋に通されましたが動くことができず、おむつを履かされる姿に申し訳ない気持で一杯でした。あらぬ方向へむいた足も器具で固定され翌日手術することになりました。私たちは不幸中の幸いでかすり傷程度でした。
翌朝友人の姉が手術をうけ個室に移り面会謝絶になりました。私たちは2週間くらいで退院しましたが友人の姉が退院できたのは事故から2か月後のことでした。顔中包帯で巻かれ
杖を突きながら歩く姿を見ては申し訳ない気分でいっぱいでした。ゆうじんも事故前は市役所で採用されることが決まっていたのですが事故の責任を取って友人は入社を断りました。
レビン購入後すぐに廃車になった友人の車。友人はいたたまれない気持ちになり両親と一緒に県外へ引っ越していきました。風の便りによると友人の姉はすっかり元気にいまではお孫さんができるくらいになったそうです。煽り運転が社会問題になっていますが煽りだけはしないでください。私たちのように大きな代償を払わなければならなくなります。
自分のため、家族のため、大切な方のため事故など起こさぬよう十分に落ち着いた運転をなさってください
わたしは今でも罪を償いたい気持ちでいっぱいです。


さてお時間となりました。
明日一日頑張れば休日が待っています。
満面の笑顔で明るくスタートしましょう!
様々な事が待っていますが負けぬよう劣らぬようみなさまのご活躍を祈っています。
みなさま、明日もふぁいと~~!!
明日の激務に備え心の準備をしておいてくださいませ
ではみなさまおやすみなさいzzz

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