元気夢工房

写真を中心に風景・花・ポエムを綴っています

緊張の糸が切れてしまいました。

みなさま、こんばんは。
今日もご苦労様でした!
私は母が末期癌であることを知ったとき主治医の言っていることが何をいっているのかわからないほどショックを受けました。
私と姉の話しで母には内緒にしようと誓い、母を守ろうと決めました。
母や父の前では決して涙をみせず笑顔でいようと心掛けました。
母が入院中も私なりの言葉で励まし懸命でした
精神科を受診することやめ散髪も行かずただ母の命を守ろうと笑顔で振る舞っていました。
母も懸命に退院するために闘ってくれました。
私はなりふり構わず母の事だけを考えていました。
余命2か月
長くて六か月
私は運命など受け止めることができませんでした。
母が2回目のワクチンが接種を受けたのち39度の高熱が続き緊急入院となりました。
毎日点滴を受けベットに横たわる母を励まし続けました。
願いが叶ったのか母は思いより早く退院することができ本当に嬉しかったです。
しかし退院してからわずか三日で体調が急変し、母はもうこのまま死なせて、入院はしたくないから早くばあちゃんの所へ行かせてと言っていたのですが、私は残った僅かな人生を送って欲しいと思い救急車を呼ぶことにしました。
母は2度目の入院となり癌の進行かとビクビクしていました。
ホルモン注射に全てをかけ順調に回復していく姿に安堵しました。
母も懸命に闘った結果、普段の生活が遅れるくらいに回復し退院の運びとなりました。
一刻も早く母を迎えに行き自宅でゆっくり養生できるよう部屋も片付けました。
母が入院中に洋服や食品などの処理を始め母を安心させようと思ったのですが、母は知らぬ間に物がなくなったのはなぜ?と尋ねてくるのです。
母が退院すればヘルパーさんや訪問看護師さんが動きやすいよう整理したと答えました。
母には無理をせずゆっくりと回復してほしいと願っていたのですが、母は自分が動くことが
女として当然のことと言いふらつきながらも冷蔵庫の中もキッチンの中も覗き今は安静にして足が立つようになるまで我慢してと何度も制止しました。母は私が動くとなんでそんなに止めるの?私は元気になったよというのですが退院してからわずかしか経っていないので体力が回復するまで我慢してとその繰り返しの毎日が始まりました。
母のいない内に部屋の片づけが終わったことに不信感を抱き、私を責め始めました。
私は入院中に何度も部屋の整理を始めることを報告し母の承諾をえていました。
しかし今になって身辺整理が終わったことに腹を立て始め、機嫌を損ねてしまい申し訳なかったと何度も謝りました。そして夕飯時母の機嫌を損なわないようご機嫌伺いをしましたが
夕飯は食べたくない。早く死にたい、何も楽しくないと機嫌が悪く私はご飯が嫌ならせめて
薬だけでも飲んでと嘆願しましたが母は頑として受付ません。どうせ私は邪魔者で早く死ねばいいと思っているんだろと言い始めましたので私は何も無理は言っていない。ご飯が嫌なら薬だけでも飲んでとお願いしましたが、私のことはほっといていいから自分らで食べてと
言うのです。私は一言も邪魔者などと言っていないし、家族揃ってご飯をたべるのが一番うれしいから話をしようよと言いましたが、私は生きていても何も楽しくないから早く死ぬと
いうので私は段々自分の力不足に情けなくおもい決して行ってはならないことをしてしまいました。それは父や母の前では絶対に泣かないと決めていたのに大声で泣いてしまいました。私なりに頑張ってきたつもりでしたが、母の邪魔者扱い、早く死にたいという言葉に対し緊張の糸が切れてしまいいくらでも涙が溢れてきます。母も驚いて立てない足を無理に立て、様子を見にきました。抑えようとするたび余計に涙があふれ、こらえてきた気持ちが一気に出てしまいました。私は泣くものじゃないと言い聞かせてきたつもりでしたが母の早く死にたいという言葉が悔しくて、悔しくて、今まで溜め込んだ涙が一気にこぼれてしまいました。泣くときは自室のみと決めていたのですが我慢できませんでした。私を案ずる母の姿をみて余計に泣いてしまいました。夜も眠らず母の様子を見続けてきた矢先の出来事です。
母の急変に怯え続ける毎日で少しでも長く生きて欲しいという思いとこれ以上辛い思いはさせたくないとの気持ちが交錯し感情として表に出てしまいました。
母も泣きだし「ごめんよ、ごめんよ。わがまま言った私が悪かったから泣くのはやめて」と言われた時、我に返りました。私がもっと強い人間であれば涙などみせずにすんだのかもしれません。母の想いに応えられなかったことは本当に申し訳なく思いました。母には元気になろうという言葉を聞きたかったのですが、末期がんと言う試練とも戦っています。
母に何故そんなに気持ちが荒れるのかと尋ねると思い通りに回復しない自分に腹が立っているとのことでした。いずれは消えゆく命。最期は笑顔で見送りたいと思っていましたが心の不安に打ち勝つことができませんでした。母はこれから頑張るからもう泣かないでという一言で母に生きる力を与えられたとホットしましたが、これから母と癌との最後の闘いが始まります。母にとって辛い闘いとなるのは分かっていながらまだ諦めて欲しくないという心が私の思いでした。母にはこれ以上辛い思いをさせたくないという気持ちもありましたが、
取り乱してしまいました。母の年齢を考慮すれば癌と闘う力は持っていないであろうことは
せめてもの想いでした。

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