元気夢工房

写真を中心に風景・花・ポエムを綴っています

グループホーム立上げ

みなさま、こんばんは。
今日もご苦労様でした!
今夜の話題は私が追い詰められていった時の事を書きたいと思います。
私は40歳の頃老健でで主任として働いていた時期がありました。
勤務は4交代で家内とはすれ違いの生活
家内は介護施設で働くときに我慢できるといったのに不倫をしてしまいました。
突然会社を辞めたり髪を染めたりSOSのサインはでていたはず。
私は過労で家庭のことはことは任せきりで何もできませんでした。
ある日家内が激しい嘔吐を起こし心配になった私は背中をさすり「大丈夫か」と声をかけました。それがのちのち不倫相手の子供を身ごもっていたことを知り愕然としあえなく10年続いた結婚生活も破綻。離婚の余波仕事の気力を失った私は職場では無気力になり解雇通告。私と共に苦労した仲間もショックを受け数名が退職したと聞きました。自宅に戻れば誰もいない部屋。私の生きる道は介護しかないと無いと決め込んだために就活で決めた施設はとある病院のグループホーム立上げでした。さほど経験もない私が管理者に抜擢され講習を受け他の管理者と初面会。私は老健。他の人は特養経験者。グループホームで取り掛かったのは一からの立上げ。利欲規約も病院との連携も何もなし。運営に必要な什器を買いだし綿密な打ち合わせ、時には深夜に及び精神はクタクタ。スタッフの求人も私たち任せ。グループホームは9人制の2ユニット。協力病院の応援は全く引き受けてもらえず毎日が話し合いの日々。やがてオープンが近付き内覧会の始まり。あまり知識のない私も説明に必死でクタクタになりました。グループホーム立上げには医療コーディネーターが入っていた物のオーナーの飼い犬。何もない状態からスタートしたグループホーム。深夜帯は一人で9名の利用者さんのお世話をしなければならない規則。離婚から立ち直れていない私には過酷な勤務でした。ある日私の体が異常に浮腫み始め会社を休んで病院へ。私は鬱かもしれないとコンビニ前で電話帳を開いている所を同僚に目撃され仮病扱い。「介護の仕事、限界ですね」と言われて診断書を出ししばらく自宅療養。薬と通院で数か月治療を続け職場復帰を果たそうと
会社に行くと「今の体では無理でしょ」と強制解雇。
何のために管理者になり勉強もし備えてきたか。
特養出身の管理者は人の解雇は気にしない
私は老健育ちで人材は大切にしたい
職場が違えば考えたがとんでもなく違う現実
私はグループホームで心が病んで橋本病まで患った
やる気をなくせば務まらないのが介護の世界
私は糸が切れた凧のように宙に舞う
介護の世界は終わりのない闘い、鬱にならぬよう適度な息抜きを!!
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今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
これからの時間も楽しくお過ごしください
では失礼いたします!

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