回顧録
連投です
今夜は眠れそうにもないので母の事を書いて終わりたいと思います。
2021年6月17日母の闘病生活の始まりでした。
地元の病院で母は腎盂腎炎で入院中でPET検査の結果は私と姉で結果を聞きました。
心の中で手を合わせながら医者から聞いた結果が「肝臓、骨転移がみられステージⅣ
末期がんです」と言われたときすがる思いで何か手立てはないものですかと聞きました。
「高齢なので抗がん剤は使えないのでホルモン注射なら可能性はあります。しかし完治す
る可能性は低いので覚悟しておいてください」と言われてしましました。さらに「ホルモン注射は何処の病院でも打てるというわけではないので調べておきます」と言われ待合で長く待ちました。待ってから数時間で名前をよばれ診察室へ入ると「丁度地元で対応できる病因が見つかりました」と言って下さりました。そこで調子に乗って「ホルモン注射の効果があれば寿命はどの程度のびるのですか?」と聞いてみると「早くて一年、遅くて3年くらいでしょう」と言われてしまいました・・・。
姉の車に乗って母の待つ病院に戻り結果を報告することになりました。
母はとても心配そうな顔つきで私達をみていましたが、「大丈夫、問題なかったよ」と嘘をついてしまいました。
私の嘘は顔にでるらしく母は何かを感じとったと後に言いました。
医師には大学病院からDVDがきているので検査結果は一目瞭然。
「がんばらなくっちゃ」と自分を鼓舞し早期退院を果たした母でしたがゆっくり休む暇もなく働き疲れからまた入院することになってしまいました。
この頃から母のいない生活が続き家事一切こなすようになってきて「あんた頼んだよ」と
家を任されるようになっていきました。
男という生き物はか弱い生き物で偉そうなわりに気持ちが小さい・・
男所帯になって痛感したことでした。
母が元気になってまた我が家に笑顔が戻るという幸せをどれほど待ち望んだものか。
我が家に与えられた母との団欒の日々は長くはなかった。
そして今母の遺影を見ているとどこか安堵の表情を浮かべているように思える
天に召されて星となれ
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今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
これからの時間も楽しくお過ごしください
では失礼たします