元気夢工房

写真を中心に風景・花・ポエムを綴っています

私の備忘録 パート11

みなさま、こんばんは。
今日もお疲れ様でした!
今夜の夕飯時もご多分に漏れず夫婦喧嘩が始まったのですが父の傲慢ぶりについに我慢の糸賀が切れ爆発してしまいました。
母が入院していた当時は食欲もなく今にもあの世に逝きそうなくらい元気がなく、非常に心配をしていたのですが、母が退院したとたん傲慢ぶりを発揮し、母をこきつかうようになりました。両親は昭和初期の生まれですので男尊女卑が当たり前の時代だったのかもしれませんが、あるていどの年になれば労わりあうべきではないかと私は思うのです。母は「父の世話をすることがおなごの仕事」とよく言います。しかしながら今は事情が違うと思います。
父は50代の頃、私が憧れるくらいよく働きばりばりの阪神タイガースファンでした。
うだつの町並みのガイドを始めた頃が一番輝いていたと思います。自慢するわけではありませんが、司馬遼太郎さんの「街道をゆく」という本のなかで我が父も紹介されたことがあるほどガイドとしては引き付ける力があり、常連さんもかなりおられたようです。しかしながら時がたつにつれ町並みにも変化ががありガイドの必要がなくなりました。それからというもの家に引きこもりの日々が続き、毎日母には我儘を精一杯言っていました。母も怒りながら無視しながらそれでも父を支えてきたと思います。それから数年の月日が流れた頃、母が病魔に襲われ床に伏せました。面会に行っても一言も話さない父でしたが一番心配していたのは父であったでしょう。母との面会が終わり自宅ではテレビもみず食事も取らず母の存在がどれほど大きかったのか十分にものがったっていました。「かあちゃんが帰ったら元気が出る」それが父の口癖で父も私も母の退院を心待ちにしていました。そうこうしているうちに母の退院が決まり父は一番に迎えに行こうと言いました。母をむかえしばらくは大人しくしていた父ですが、母が動けると察知した瞬間、わがままが始まり母はじっと耐えていましたが、私が我慢できずついに「父ちゃん、母ちゃんをこきつかうのはいいけど母ちゃんの寿命を縮めるのは父ちゃんの我儘やで!今度母ちゃんが入院したらもう母ちゃんは帰ってこないから覚悟しておきよ!冗談じゃなく警告だから!今度はもうないよ!」と言ってしまいました。父はうなだれてしまいましたが母が「〇〇もういいから。父ちゃんの我儘は若い頃からずっと。大丈夫^^」とかわされてしまいあとは母に任せることにしました。
夫婦生活70年。じゃじゃ馬を扱うのは大ベテランの二人。息子の出る幕じゃなかったのかもしれませんね。時折父に対し母の病状を正直に伝えたいと思う事が何度もあります。
そうすれば母のことをもっと大切にし、私たちの想いも理解してもらえると思うのですが残念です。毎日が夫婦げんかに明け暮れそれが元気の元であればうれしいのですが、母にとってストレスになっていないかただそれだけが心配なのです。父ちゃん、喧嘩はあかんよ!!
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今日も最後までお読み下さりありがとうございました。
明日花金ですね。
あと一日頑張れば週末。
みなさまもう少しふぁいとぉ~~~~~~!!!

(トン子さん、画像拝借しました)

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