元気夢工房

写真を中心に風景・花・ポエムを綴っています

子供はかすがい

みなさま、こんにちは。
お疲れ様です!
今日も例の如くマックで休憩をしていた所子供を連れた団体さんが入店されました。
元気に走り回る子供をみて店を出てしまいました。
私は子供が欲しいと思いつつも子供嫌いかもしれません。
元嫁と私の間に子供が出来なかったことは何度も書きました。
当時は不妊治療をしていましたがそれでも授かることはありませんでした。
無精子症でも妊娠できる可能性がありそれにかけてみましたが望み叶わず離婚となりました。元嫁の再婚の話を聞きすでに子供が産まれ立派なお母さんになったとのことでした。
私がてんかん発作で入院し検査を受けたさい、小児科の前で座っている元嫁をみましたが視線をあわすことなく大部屋にもどりました。元嫁も気づくことなく幸に思いましたが「妊娠おめでとう」とお祝いすることができませんでした。幸せならそれでいいと思っていましたが目の前で子供をあやしている姿をみてやはりショックでした。楽しそうにはしゃぐ子供をみてあの子が私の子供であったならとふと思ってしまいました。私の友人たちも子度に恵まれお祝いをしてきましたが私だって子供ができるはずだったのにと比べてしまいました。先に述べましたように子供嫌いな私に子供が授かれば子供がはしゃぐ姿を容認することができたかもしれまん。早く元嫁のご両親に孫の姿をみてもらいたいとおもったことが何度もあります。


子供ができたなら私の人生は変わっていたかもしれません。よちよち歩きをする時も始めてお喋りをする時もおむつを替える時も私には見ることがありませんでした。子供のことを一番に考えれば精神が壊れることなどなかったかもしれません。私には姉がいて4人の子供が産まれました。今では全ての子供たちが成人し社会人として働いています。子供も産まれ孫を連れて遊びに来てくれるのですが、私は長年高松に住み孫と遊んだ経験がないのでなついてくれることはありませんでした。孫たちが我が家の家族の絵を書いてくれるのですがその絵の中に私の絵は描かれていませんでした。「この絵はおじいちゃん、この絵はおばあちゃん、この絵は知らない人」らしいです。私は離れて住んでいたから仕方ないとおもいつつも
やはり悲しかったです。


もし私たち夫婦に子度が出来ていたなら離婚などなかっただろうにと考えてしまいます。
家族があっての自分だと思います。
結ばれることのなかった夫婦の関係でしたがそれが神様の答えではあったのかもしれません。
運命とは残酷物語だなと考える私の心境です。

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